夕方5時半、まだ決まっていない
今日の晩ごはんが決まっていない、という状態には、わりとはっきりした発生時刻があります。わたしの見立てでは、夕方の5時半あたり。
材料は、たいてい揃っています。ピーマンが3個、豆腐が1丁、こういう日にかぎって朝のうちに解凍してある鶏もも肉。それでも決まらない。
野菜室を開けて、閉める。少ししてまた開ける。中身が変わっていないことは開ける前から分かっているのに、手のほうが先に動いています。あの動作に名前がついていたら、もう少し気が楽なのに。
外はまだ明るい。ベランダのコンクリートが、昼のあいだの熱をゆっくり返してくる時間です。この暑さの中で油の蓋を開けて、コンロに火をつけて、そこに20分立つ。その一連を思い浮かべた瞬間、手が止まります。

思いつかないのではなくて、選べない
レシピを見ずに作れる料理は、数えてみると案外あるものだと思います。生姜焼き、麻婆豆腐、鶏の照り焼き、卵とじ、焼きそば。手札は足りている。それでも選べない。
5時半にやっているのは、条件の突き合わせです。今日中に使ったほうがいい豆腐があって、家族のひとりは魚を食べなくて、明日の弁当に回せるおかずだと助かって、洗い物はこれ以上増やしたくない。5つも6つもぶら下がった状態で、答えを1つ出せと言われている。
しかもそれを、一日でいちばん頭の回らない時間帯に解かせています。同じ問題を朝の10時に出されたら、たぶん5秒で片がつく。夕方の5時半には出ません。献立が決まらないのは、料理の腕ではなく時間割のせいだとわたしは思います。
夏はここに条件がもう1つ増えます。火をつけている時間の長さ。換気扇を回しても、コンロの前に立って5分で背中が湿ってくる。だからこの時期の献立は、味の好みより先に火の短さで選ばれている。そうめんが続くのは、火の前に立つ時間がいちばん短いからでしょう。
「なんでもいい」で、なぜ腹が立つのか
「今日、何食べたい?」と聞くとき、ほんとうに欲しいのは、決めるという仕事を半分持ってくれる人です。答えのほうは、たぶんおまけ。
だから「なんでもいいよ」と返ってくると、返事の中身より手前のところで反応してしまう。押しつけたはずの決定権が、そのまま戻ってくる。腹が立つ理由は、たぶんそっちです。
やっかいなのは、「唐揚げ」と即答されたらされたで困ること。今日は油を出す日じゃない、と思う。つまり、答えが欲しかったわけでもありません。欲しいのは、その日の献立が誰かとの共同責任になることのほう。
そして自分が聞かれる側に回ると、やっぱり「なんでもいい」と言う。お互いに決定を渡し合っているだけの会話です。
そうやって渡し合ったあと、最後に残るのはたぶんいつも同じ人でしょう。その人は毎日、家族の好き嫌いと冷蔵庫の中身を頭の中で並べ替えている。手も動かないし音も出ないので、終わってもやったことになりません。
晩ごはんのしんどさは、その大半が決めるところに乗っている。わたしはそう思っています。切る・焼く・洗うの手間は目に見えるぶん、まだ扱いやすいほうです。作るのは15分で済むのに、決めるほうで夕方が1つ潰れる日があります。しんどい日は、台所に立っていた時間より、立つ前の時間のほうが長いはずです。
「AとBならどっち」の形にすれば、たしかに答えは返ってきます。ただ、AとBを並べた時点で重いところは終わっている。渡せているのは、最後のひと押しだけ。決めてもらったつもりで、実のところ2択まで絞りきっているのはこちらです。
一週間ぶんの献立表も、日曜の作り置きも、水曜あたりで止まりがち。止まるのは、いちばん重い仕事を減らせていないからだと思います。日曜のうちに木曜のぶんまで決めておいても、木曜の5時半には「今日はこれじゃない気がする」が来る。決定は、その日その時刻にしか発生しません。前借りができない。
レパートリーを増やすのは、たぶん逆
献立が回らなくなると、新しいレシピを覚えようという方向に行きがちです。そこは諦めていいところだと思います。
作れるものが増えても、増えた分だけ迷いが長くなる。そんな気がします。選択肢の数と決めやすさは、あるところから逆を向きはじめるのでしょう。
わたしなら、増やすより固定します。曜日で決めてしまう。金曜は麺、と決まっている家では、金曜の5時半に「決める」という仕事がそもそも発生しません。週に1日でも決定のない日があると、残りの日の粘りが変わってくるはずです。
固定に回す献立は、いちばん評判のいいやつを避けたほうがいい。人気のあるものを毎週にすると、そのうち期待のほうが上がって、こちらの首が絞まります。ちょうどいいのは、誰も文句を言わないかわりに誰も喜ばないもの。定番と呼ぶには地味な、あのへんのやつです。
カレーを作る気になった日が、その家の秋の初日
8月の献立が単調になるのには、理由があります。この時期の台所は、火の短さと洗い物の少なさ、それに決めなくていいことの3つで回っている。優先順位のほうは、ちゃんと生活に合っています。
戸棚の奥にそうめんが3束、めんつゆの1.8Lのボトルが半分。涼しくなってから見ると、使い切れなかった記録のように見えます。あれは、夏をやり過ごした量が残っているだけ。
そのうち、ふいに煮込みたくなる日が来ます。玉ねぎを飴色になるまで炒めるような、どう考えても面倒なことを、なぜか急にやりたくなる。カレーを作る気になった日が、その家の秋の初日なのだとわたしは思います。合図はたぶん気温のほうで、こちらの気合いは関係ありません。だとすると、いま献立が単調なのは、まだその日が来ていないというだけのことになります。
