コラム

人の台所は、なぜあんなに使いにくいのか

2026年8月14日 RADSTOCK 編集部
吊り戸棚の扉が1枚だけ半開きになった台所。中には重ねた丼が並び、手前の調理台に麦茶のポットが1つ置かれている

麦茶のコップが、どこにあるか分からない

冷蔵庫から麦茶のポットを出すところまでは、迷わずできます。問題はそのあと。コップがどこにあるのか、まるで見当がつきません。

吊り戸棚を開けると、重ねた丼と未開封の海苔。次に引いた引き出しには輪ゴムと割り箸と、いつのものか分からない袋止めのクリップ。三つ目でようやくガラスのコップに行き着いて、けれどそれは来客用の背の高いやつで、麦茶を注ぐと妙にすかすかして見える。

開けた台所の引き出しを真上から見たところ。輪ゴム、割り箸、袋止めのクリップが仕切りなしに混ざって入っている
どの家にもある引き出し(イメージ)

台所の主が横から「そっちじゃなくて、下の段」と言う。たいてい、下の段です。

それでも麦茶は出したい。「わたしがやるよ」と言ってしまえば、そこで座り直すわけにもいきません。人の台所は、なぜこんなに使いにくいのでしょう。自分の家でなら、考えごとをしながらでもコップは出てくるのに。

その配置は、その人の腕の長さでできている

使いにくさの正体は、収納が下手だからではありません。むしろ逆。よくできているから使いにくい。

台所の物の位置は、家具屋が決めたのでも雑誌が決めたのでもなくて、そこに毎日立っている人の身体が決めています。よく使うものは、振り向かずに手が届く高さにある。使わないものは、椅子を持ってこないと届かない場所へ押し上げられていく。何年もかけて、その人の背丈と利き手と、朝の動線に合わせて削られてきた配置です。

だから身長が10センチ違うだけで、その台所は途端によそよそしくなります。上の段の中身が見えない。奥のものが取れない。菜箸の入っている筒が、シンクを一歩またいだ向こうにある。

面白いのは、これが引っ越しのたびに作り直されることです。同じ人が同じ道具を持って移っても、コンロと流しの距離が20センチ変われば置き場所は全部やり直し。台所というのは、間取りと身体のあいだで毎回交渉して決まっている場所なんだと思います。

人の家だと、少しだけいい人になる

ここからが、たぶん誰にも言わない話です。

人の台所で洗い物をしていると、自分の家よりずっと丁寧になりませんか。スポンジの泡をきちんと流して、コップは伏せる向きまで揃えて、シンクの縁の水滴まで拭いて。

自分の台所では、そんなことはしない。フライパンは翌朝でいいことにするし、水切りかごは倒れない限り積み上げます。麦茶のポットだって、洗うのは中身がなくなってからでいい。

あれは親切なのではなくて、見られているからだと思うのです。人の家の台所には観客がいる。観客がいる場所でだけ出てくる丁寧さを、わたしは自分の実力に数えないことにしています。

人の台所には、もうひとつ作法があります。見なかったことにする、という作法。冷蔵庫を開けたときの、蓋の縁が固まっている瓶。コンロの奥の、拭ききれていない油。見ても言わない。自分の家のそれを人に見られる場面を思えば、黙るのが道理でしょう。

だから、逆も成り立ちます。自分の台所には、あまり人を入れたくない。

リビングは片づきます。玄関も、来る前の10分でどうにかなる。台所だけは無理です。引き出しに輪ゴムが何本たまっているかも、調味料の減り方の偏りも、10分では直せません。あそこには生活のペースがそのまま出てしまう。「手伝おうか」と言われて、とっさに「大丈夫」と返してしまう。あれは遠慮ではないと思います。

ついでに言うと、どれだけ丁寧に洗っても、置く場所は結局間違えます。ザルの定位置なんて、住んでいる人にしか分からない。

持ち込めるのは、手のひらに入るものだけ

人の集まる時期になると、よその台所に立つ回数が少し増えます。実家だったり、親戚の家だったり、子どもを連れて集まる誰かの家だったり。

そこで「使いやすくしてあげよう」と手を出すのは、わたしはやめておく派です。配置を直すというのは、その台所の主の身体を上書きすること。よかれと思って手前に移した砂糖の缶が、翌週その人を5分探させます。

持っていくとしたら、手のひらに入るものだけ。人の家の引き出しを開けなくても完結して、帰りにポケットへ戻せるくらいの大きさのもの。

わたしなら、小さい袋止めのクリップを鞄に入れておきます。子どもが半分残したお菓子の小袋、開けたきりの薬味の袋。人の台所で輪ゴムを探すのは、コップを探すよりさらに難易度が高い。ウェーロックのクリップイット PA50は閉じ幅が50mmの小さいほうで、そういう袋にちょうど収まる大きさ。袋の口を挟んで閉じるだけなので、その家の作法を知らなくても留められます。使ったら持って帰る。台所に何も残さないのが、いちばん行儀がいいはずです。

使いにくさは、悪いことではないのかもしれない

人の台所が使いにくいことを、わたしはそれほど問題だと思っていません。あれは、その家に自分の身体の記憶がないというだけの話です。

住んで長い人の台所には、その人の何年分かがそのまま形になって残っています。コップの位置ひとつに、朝の動線と背の高さと、たぶん過去のいくつかの失敗も入っている。他人がすぐに使えなくて当たり前でしょう。

自分の台所に帰ってきて、いつもの引き出しを何も考えずに開ける。あの、探さなくていい一瞬。あれが「暮らしている」ということなんだろうと、わたしは思っています。

そしてそのコンロには、たいてい、出しっぱなしのフライパンがある。

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